沿革
1905年(明治38年)初代・海老原武五郎が東京・日本橋にて「海老原ゴム商店」を創業する。
初代は当時、 ヨーロッパ各国でタイヤ等の素材として普及していた抗菌性の高い「天然ゴム」の特性と利用に着目し、
特に義肢用のゴム製品の販売を始めた。その後血圧測定器や各分野の実験装置に取り付けるゴム球やゴム管、
医療用手袋、前掛け、水枕等取り扱い製品の種類を増やしその販路を全国に拡大した。
1947年(昭和22年) | 法人設立に伴い本社を文京区本郷3丁目に移転 海老原立治が社長に就任 |
1976年(昭和51年) | 海老原一三 社長就任 |
2006年(平成18年) | 大澤庸佳 社長就任 |
2014年(平成26年) | 海老原 淳社長就任 |
2017年(平成29年) | 本社事務所を本郷2丁目に移転 |
2017年(平成29年) | 神戸オフィス兼倉庫をポートアイランド内に開設 |
2018年(平成30年) | 台湾の工場 漢陽膠業有限公司と提携 マレーシアの工場 Profound Rubber lnd ,SDN BHDと提携 |
2019年(平成31年) | ベトナムの工場 THAI DUONG RUBBERと提携 |
歴史
1905年(明治38年)の創業以来110数年歴史がある「海老原ゴム商会」 株式会社を物語る
古いカタログ(義肢用のゴムや各種カテーテル、血圧用のゴム管など医療用の販売製品の紹介)や
現在でも使われているゴム栓などを入れる木箱が残っています。中でも世界的免疫学者で
文筆家の 多田富雄さんのエッセイの中で昭和26年「海老原ゴム店」に居候していた当時の本郷界隈の様子が
下記の様に描かれています。
「1951(昭和26 年)年の夏、私は東京・本郷2 丁目にある海老原ゴム店と言うところに居候していた。
年齢の近い、兄弟のようにしていた叔父が東大のドイツ文学の学生でこのゴム店の留守番をしていた。
私は東大受験のため予備校に通うのに上京し、ひと夏の下宿を探していたのだ。気のいい叔父は
私と一緒に暮らすことを快諾してくれた。これ幸いと、彼が居候していたゴム店の一室に私は転がり込んだのだ。
だから「居候の居候」というわけだった。ゴム店の主人は鎌倉に住んでいた。毎朝きっかり八時に電車で
出勤して店を開けた。本郷の裏通り。旧金助町(現本郷3 丁目)は零細な医療器具店、通称「いわし屋」が
集まっていたので部品となるゴム管やゴム栓などを商って、かなり繁盛していた。
大小さまざまなゴム栓などで店はうずまっていた。今でもその匂いを懐かしく思い出す。
店は代替わりしたものの、今でも同じところで営業している。」 (多田富雄「百舌啼けば」から)